Nadja の日記
2012-06-04 21:34:45  2ちゃんまとめブログに転載禁止令が下された件

正直、何でもアリの2ちゃん運営が動くとは意外でしたが。

まとめサイトに鉄槌 2ちゃんねる、名指しで「転載禁止」の警告文
(ITmedia)

まず白状しますと、私はかなりの2ちゃんまとめサイトウォッチャーです。速報系以外は2ちゃんのオリジナル板を見ることはほとんどないんですよね。なので、今回の件はわりとショックではあるものの、あれだけアフィリエイトべたべたと貼って露骨にPVを稼いでるやり口はやはり目に余ったのかという納得感もありという、何とも痛し痒しな心境です。

ところで、件のサイトたちが禁止令を食らったのはアフィリエイトが問題なのではなく、記事の改変や捏造をしていて、それを再三に渡って注意されながらも再犯を繰り返すことが問題なのだ、という意見もあります。でも、それは結局アフィリエイト目的であることが問題なんですよ。だって、何でそんな捏造までしてPVを稼ごうとしているかといえば、別にそういうデマを流布したいわけじゃなく、多分単純にそういう記事を集めればPVを稼げる=アフィリエイトのカウントを稼げるということだと思う。

あと、まとめサイトはいわゆる“ネトウヨ”の温床だとかいう意見もあるけど、まとめサイトというのは元の板に書き込めない、つまり既に過去の話題をリードオンリーで閲覧することしかできないわけで、温床になるという見方は少なくとも違うし、むしろ右に偏ったレスを集めてしまったら左の人が見なくなるので、サイトとしては旨み半減になるんじゃないか。なので、もし私がまとめサイトをつくってたら、両方の意見をわりと平等に並べて編集しますね。この場合、自分(管理人)の信念がどうというより金儲け優先ですから。

私も個人ブログやwikiにGoogleのアフィを貼ってるけど、それだけでも年間1万円くらい。それでサーバレンタル代とドメイン維持費が払えてお釣りがくるので、大分重宝してます。私みたいなショボいブログやwikiでもそれだけ入ってくるのだから、2ちゃんまとめサイトレベルになると相当でしょう。聞くところによると年間2000万円とか3000万円とかいう話も聞くし、そりゃあPV稼ぎにも熱が入るよなぁ…

とりあえず、すくいぬと哲学ニュースは生き残って欲しいですけど。



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2012-05-24 23:26:50  芸能人のギャラが高いのは何故か

芸能人、つまり、人前で何か芸を披露するという仕事をする人の給料の源泉であるギャラ(報酬)は、1回あたり世の中一般的な会社員とか公務員とかそういう人達のそれよりもかなり高額な相場設定になっている。特に大したことをしているわけでもなさそうな落ち目芸人でさえ、テレビに出演すればサラリーマンの1ヶ月分の給料程度(か、それ以上)は貰っているようだ。

これはいわゆる芸能人、テレビタレントに限らず、絵画や音楽、文学など、いわゆる芸術関係の仕事全般にいえることで、絵も画廊などに展示されているものの値札を見ると、大体数万円から数十万円などと一見ボッタクリと思えるような価格。地道に堅実にサラリーを稼いでいる人の目から見ればその値段は異質でしかない。

それでも、この風習というか常習というか、おそらくはその界隈における常識は世界的にずっと昔からのもので、こうした仕事で身を立てている人にしてみれば、その芸が売れなければ一文も収入がないため、1回あたりの実入りをある程度大きくしておかないとその後の生計が保証できないからだと考えられる。

芸能を売って生きている人というのは、その売り物が売れるか売れないかは世情に大きく左右される。必ず生活に必要な、或いは社会一般的なインフラや商品を売って稼いでいる会社なり役所は収入が比較的安定しているのであり、その稼ぎはわりと長期的に見通せる。そのため、商品1つあたり、サービス1回あたりの価格は低く抑えても、その後連続して同様の売上が期待していけるわけだ。その点、芸能の場合は次があるかどうかすらわからないわけで、一度訪れたそのチャンスを安く売るということはなかなかできないという心理になる。

これが長年かけて常態化、芸能は高額であるという了解事項となり、いわばブランドになっている。

しかるに、今話題の某芸人の所属会社が、その仕事に安定した収入の保証がないことを理由に、本来は日々の生活が困難な人を救済するための“生活保護費”を受給するなどという事件が起こっている。あえてその収入が保証されない仕事を選んだのは本人だろうに、それが売れなかったら生活保護費を受け取るなどというのは暴挙でしかない。

某氏の場合、現在の年収は5000万円とかそれ以上ともいわれている。テレビにレギュラー出演する芸能人であれば一般的な収入だと思うが、仮にそれが今後ゼロになったとしても、普通に考えてその家族が生活に困ることはまずないだろう。何のためにそのように1回あたりのギャラが高いのかということである。

役所から支払われる生活保護費というのは、もともと税金。彼よりもずっと収入の低い納税者もいる、というより、彼より収入の良い納税者の方が稀だということを考えて欲しいということなんだよね。



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2012-04-25 22:20:58  エピソード記憶

例えば、学生時代の受験勉強中によくラジオなどで耳にしていた曲を今聴くとその学生時代の情景がありありと思い出されるというような、そのときの状況に関わっていた某かの音や光景や匂いなどと記憶が紐づいているような記憶を『エピソード記憶』といいます。

私は最近(といっても半年ほど前ですが)32GBも入るWALKMANを買って、それに昔から今に至るまで買ってきたCDのほとんどの曲を入れているのだけど(MP3にすると入ってしまうのがスゴイのだけど)、それを全曲シャッフルで聴いてると頻繁に懐メロが流れてくるわけです。まぁ入れてるのだから当然ですがね。私にとってはもはや懐メロではなくなりつつあるんですが、それでもそれぞれの曲を聴くと、その曲をリアルタイムに聴いていた頃の記憶が呼び起こされます。記憶のWHERE条件ですね(といってる私の頭はもうSE脳)。

それで思うのだけど、そういう昔の記憶、懐かしい記憶、というか感覚というかこの感情は、それが古ければ古いほど、何か胸がつまる感じになるんですよね。懐かしさというのは、感覚としては享楽とか快感とかポジティブな部類ではなく、実は悲しさとか寂しさとか、どちらかというとネガティブな方向を持った感覚じゃないかと思う。それでも、懐かしいというその感覚は、痛覚とか苦痛などとは違ったネガティブなんだけど良性な感情だとも思う。

過去というのはもう二度と戻ってこないもので、思い出すことはできても、それと全く同じ感覚を得ることは最早できないわけです。中には物理的に失われているものもある。長いこと生きれば生きるほどそういうものは積み上がっていく。楽しかった、良かったと感じた記憶ほど、懐かしさの中でより郷愁というか寂寥の念に見舞われる。でも、楽しい記憶というのは多いに越したことはないと思うのも人の情念というものだったりする。

人の場合(人以外の存在に記憶があるのかは定かではないけど)は、同じ人とのつながりであったり、共感であったり、一緒に過ごした時間であったり、そういうものがより“良い”記憶になりやすいのだけど、逆に、嫌な記憶、思い出したくないトラウマになるような記憶というのもまた人との関係の中でつくられてしまうことが多かったりすると思う。

今日、たまたまWALKMANのシャッフルである曲が流れて、それが数年前のお盆に2年前に亡くなった祖母を墓参りに一緒に行くときに車でかけていたCDの曲だったのを思い出して、そのばあさんのことがいろいろ思い出されて、懐かしいやら寂しいやら何ともいえない感情になったのです。電車の中で。何かそのときだけ、自分がその電車の中ではない、その墓参りに行く車の中にいていろいろ物思いに耽っているような感覚でした。



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2012-04-17 22:05:15  電力問題

今年の夏を甘く見ない方がいいと思う。

去年は大震災直後で、全国的に節電モードに入っていたので夏も何とか凌いだのだけど、今年はだいぶそのへんの意識も薄らいでいて、去年ほどの自主節電は期待できない。しかも、去年はまだ稼働中の原発もあり、電力供給はわりと余裕を持って運用ができていたようだけど、今夏は原発がほぼ稼働していない状態で迎えることになることが予想される。

とはいえ、キャパオーバーで大規模停電という事態は避けなければならないわけで、そうなると、去年の震災直後に東京電力管内で行われていたような輪番停電(計画停電)や、企業や工場への供給制限などが実施される可能性は高い。

実際にこれらの対策が実施されると、生産量は低下し、都市部での経済活動は大幅に抑制される。その経済損失は甚大なのだけど、今の国民(世論)は経済よりも身の安全の方を優先しようというのだから、電力不足で不景気が促進されたとしても文句をいってはいけない。

いや、必ずしも原発が必要だという気はないですが、今のところその代替し得る現実的なエネルギー源は今もなお価格高騰を続ける石油しかないのだから、去年時点で国内の電力のおよそ3分の1を賄っていた原子力が全部止まって代わりが火力となればどう考えても電気代は急騰するしかない。特に原発依存度の高い関西電力管内はその状況がより厳しいはずで、それで経済が良くなるという話はないわけです。

安全性を求めるということ、つまり原発を使わないということは、そことのトレードオフだということをしっかり認識しておく必要はあると。

といっても、人間は都合のいい動物で、原発はダメ、電気代が上がるのもダメ、電力供給制限もダメ、停電するのも当然ダメだというわけですね。全部は無理。そのどれかを選択しなければならないのは必然で、それをやるのは政治の仕事なんですが、どれをとっても相応のリスクがあり、そこに怖気づいて動けない政治というのはみっともないという話。

どれをとっても国民からはほぼ同程度の文句をいわれることになるのだから、さっさといずれかに決めれば良い。ただ、決めたからには、その政策に対する裏付けは当然必要で、原発を動かすならその管理体制をしっかり構築しないといけないし、原発をやめるなら代わりの恒久的なエネルギー源を確保する道筋をつけなければならない。何かを決めることと、決めたことに対して最善を尽くすことというのは、どちらも政治の仕事で、これは昔から変わっていないはず。

ちなみに、近年の政治に言及するなら、以前の自民党政権はわりかしいろんなことをパッパと決めていた気がする。ただ、その政策実行にあたり最善が尽くされていたかというと甚だ怪しい。そして今の民主党政権は決めることすら碌にできていないという印象。



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2012-04-16 22:26:14  サブカルチャー

個人的に、サブカルチャーの良いところはお金儲けが絡まないところだと思うんです。絵とか文章とか音楽とか、そういうものを創作する側は、純粋に良い作品をつくって、なるべく多くの人にそれに触れてもらいたいと思う。ただ、そういう創作活動をするにはある程度の資金も必要なわけで、例えば材料費程度の見返りを要求することはあるけど、それは儲けるという話とはちょっと違うと思う。そして、そういうのを好む人はわりとそういう方面にお金をかけることに抵抗を感じてないようで、結果的に需要と供給が上手く折り合っていると。

昨今、そんな同人音楽界隈ではボーカロイドという音声合成エンジンとその歌声ライブラリを駆使して自分でつくった音楽に歌詞をつけて機械(ボカロ)に歌わせるということがニコ動を中心に盛り上がっております。このボカロも、それを使って作曲活動する人というのは、あくまで音楽が好き、DTMが好き、ボカロというガジェットが好きといろいろ動機はあるにしろ、純粋に創作活動を趣味としてそれを楽しんでいると思うのです。とにかく良い作品をつくりたい。つくったものを動画共有サイトで発表して多くの人に聴いてもらいたい。この場合もお金儲けとはおよそ無縁な世界。

が、どうも最近そうでもなくなってきてる感がしてるのですよね。

ボカロに企業がお金の匂いを嗅ぎつけてきたようであると。動画サイトで無料でいくらでも聴ける作品をCDにしてみたら、これがわりと売れたわけですよ。人気曲にもなればカラオケにまで配信されるという、最初は同人作品だったものが、今は市場で立派な商品として売られ始めているわけです。

私が懸念するのは、ここにも版権だとか著作権だとか、そういうものを盾に使用料とか訴訟商売のようなことが始まるんじゃないかということでして、もともと作者は完全フリーで配信してたはずの作品を、横から何かと理由をつけて版権をとった会社が何か変な権利を主張し始めたりするなどということが起こらないともいえないんじゃないかと。曲の作者だって企業から金を積まれたらそれに手を出さない保証はないですし。人間だもの。

サブカルチャーはあくまでサブカルチャーとして、当初の純粋な動機のもとで暗躍していて欲しいなぁと、私なんかは思うんですよねぇ。



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